迎え入れてくれた京丹後を盛り上げたい
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元気な地元の姿を再び
京都府の北部に位置する京丹後市。海、山、里が織りなす雄大な自然と、日本海側の拠点として古くから栄えた伝統文化が色濃く残っています。この土地に生まれた櫛?田啓さんは、Uターンを決意し、一家四人で帰住してきました。移住前は、現在の仕事である福祉サービスに関する視野を広げるため、福岡県にある社会福祉施設で下積みをしていた啓さん。長い年月を経て京丹後市に戻り、痛感したことがあると言います。
「若い頃は、とにかく都会に出ることにこだわっていて、高校を卒業し、専門学校へ進学すると同時に大阪へ移り住みました。その後、福岡県の児童施設で6年ほど勤務し、地元である京丹後市へ戻って来たんです。その時、強く感じたことは、僕が幼少期を過ごした頃よりも、はるかに活気が無くなっていたこと。これをどうにかしたい。そのために僕たち若い世代が中心となり、盛り上げていかなければならないと感じました。」
どのように地域を盛り上げていくのか、思索を巡らす中で最初に目を付けたのが、羽衣伝説や七夕伝説をモチーフにした町の伝統的祭事「飛天」による地域の活性化でした。
「僕たちの親世代も、トーンダウンしていく祭りをどうにかしたいと考えてくれていたようで、この提案に対し、『若い力で好きなことをやってみろ』と金銭面などのリスクを背負ってプロジェクトを一任してくれました。」
その結果、「飛天」は大成功を収めます。以後は毎年、プログラムの企画からゲストの選定まで、試行錯誤を繰り返しながら規模を拡大し、2015年には2日間で過去最高となる2万5000人を集客するほどのイベントに成長しました。
「京都府出身のメジャーバンドを招いてライブを開催したり、ダンスイベントやよさこいなど、企画を練りに練っています。SNSや広報媒体をうまく使い、口コミによる情報の広がりも手伝って、毎年イベントの規模が拡大していることを肌で感じています。」
と、啓さんは熱く語ります。啓さんの、地域のために何かしたいという思いが原動力となって盛り上がりを見せた「飛天」。今は多くの方を巻き込み、地域の内外から活気を呼び込んでいます。
Uターンしたからこそ、出来ること
啓さんは、お祖父様が立ち上げた社会福祉法人を受け継ぎ、社会福祉施設の施設長として福祉サービスに従事しています。その傍ら、丹後地域の地域活性化を目指したNPO法人「TEAM旦波(たにわ)」に参加し、未来を担う若手の育成や離村地域の調査など、幅広く地域の課題解決に取り組んでいます。
啓さんは、京丹後市の魅力を次のように語ってくれました。
「自然も豊富で、食べ物も美味しいし、良いことづくめな場所です。また、都会で暮らしていると、忙しさのあまり分刻みのタイムスケジュールで動きがちですが、こちらに移住してきてからは自分でスケジュールを立てるくらいの余裕ができました。仕事と地域活性化活動の二足のわらじを履きつつも、妻や子どもたちのために時間を使えるのは嬉しい限りです。今後も、京丹後市の魅力を発信し続けたいですね。少しでも地元に恩返しできれば、本当に嬉しいです。」
一度、地元を離れたことで、改めてその魅力に気づいたという啓さん。外から客観的に地域を眺めたことのある、Uターンした方だからこそ出来る役割も多いのかもしれません。
地域に深く関わる勤め人として
自然が好き。週末は必ず自然と触れあって、広い空を見て、海を見て、山を見て、四季折々の花を愛でる。土を踏みしめて歩いていると、自然に深く呼吸をしていて、生き返ったような気分に。毎日、ここで暮らせたら、どんなにいいだろう。そんなことを思ったりするものの、仕事も生活場所も完全に田舎にシフトするのは不安。そういった声もたくさんお聞きします。
そんなとき、地域で求められている仕事に就き、企業に勤めることも良いのではないでしょうか。その上で、地域と関わる暮らしを実践されている方が京都にはたくさんいらっしゃいます。たとえば、ガイドの仕事をしているのなら、その地域の魅力をたくさんの人たちに伝える仕事をすることで、情報を多く得ることや、土地の人脈を広げることもできて、一石二鳥。好きな場所に足を運び、その土地をもっと掘り下げたいという欲求が仕事につながることもあります。
誰も知らなかった、とっておきの風景や地域の人の魅力を外や中に向かって発信する。そんな仕事によって、地域のなかでも同じ様に発信したいという気持ちをもつ仲間をたくさん増やせるかもしれません。