地域おこし協力隊として都市部から地方へ~地域と築く未来~
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移住には様々な形がありますが、皆さんは“地域おこし協力隊”をご存知でしょうか。
地域おこし協力隊は、都市部に住んでいる人が少子化や過疎化などの課題を抱える地域に移住して「地域協力活動」を行いながら、定住・定着を図る総務省の取り組みです。活動期間は概ね1年以上3年以下で、地域ブランドや地場産品の開発・販売・PR等の地域おこしの⽀援や、農林⽔産業への従事、住⺠の⽣活⽀援など様々なミッションがあります。
地域おこし協力隊としての任期終了後もその地で活躍し続ける人がいます。
地域おこし協力隊という選択肢
日本三景の一つ・天橋立がある宮津市の市街地から車で8分程度、京都縦貫自動車道の宮津天橋立ICが近い上宮津地区。大阪府から移住した寺田俊介さんはここを活動拠点としています。都市部での生活を経て、地方での挑戦の裏側にはどんな経緯があったのでしょうか。
高校時代に野球留学するなど、自分一人で切り開いてみたいという思いが人一倍強かった寺田さん。就職後も自分と向き合い、キャリアを模索します。入社した大手企業に勤め上げたい一方で、経営者になりたいという野心も持っていました。転勤先で東日本大震災被災地の復興ボランティアに参加したことで、さらに地域に向き合っていきたいと決意します。
「サラリーマンだけでない人生も歩んでみたくなった時に、ゼロから築きあげて他の会社に行くのはすごく難しいと思っていました。」
将来的な移住を意識する中で、実践的に経営を学ぶため転職し、ゴルフ店の店長として、店舗経営を担います。そして移住についての情報収集を始め、地域おこし協力隊の募集をチェックするようになります。いくつかの条件を挙げ、西日本を中心に探し、訪れた説明会で宮津市と出会います。
「下見で一回訪れ、応募を決めました。」
寺田さんは宮津市では初の提案型(フリーミッション)の地域おこし協力隊として活動。提案型は、隊員自身が課題の設定を行い、自由に活動に取り組みます。
2017年11月に地域おこし協力隊として着任した寺田さんでしたが、最初から順風満帆ではありませんでした。
「当初は農家民宿を作りたいと提案しました。しかし、良い空き家がなかったことやニーズが今に比べると少ないなと感じて一度断念し、夢を砕かれてからのスタートです。」
地方での挑戦、起業
将来的に農家民宿をオープンさせることを視野に入れながら、任期中に稲刈りを初めて経験し、そのお米を食べた時の美味しさに感動し、お米を使った商売をするのも一つだと感じました。そこでまずは地域の農家さんからお米を仕入れ、お米の販売を開始。宮津のお米を全国に届ける地域商社として起業します。さらに、宮津の魅力発信のため、カフェ「おにぎりとおやつmusubi」をかまえました。
現在お米の販売、カフェ経営、ホンモロコの養殖、加工品の販売、2023年からはゲストハウス経営など多岐に渡る事業を展開する、移住7年目の寺田さんが地域での生活で大切にしていることはどんなことでしょうか。
「今まで地域活動をしたことがなくても、周りにフォローしてくれる人がいたから起業できました。自分が自分がというより、地域のみんなに支えてもらうというか。イベントもその地域の仕組みづくりやコミュニティ作りも自分で全部完結させず、みんなに関わりしろを与えるっていうのが僕はすごく大事だと思います。」
総務省では地域おこし協力隊の隊員数を2026年度までに10,000人とする目標を掲げており、目標の達成に向けて地域おこし協力隊の取り組みを更に推進することとしています。
「京都にも選択肢があるような情報発信ができる仕組みを作れたらいいなと思っています。」
寺田さんは宮津市から京都府北部、そして京都府全域への現役隊員、OBOGのネットワーク作りを目指し、奔走しています。
全国的に地域おこし協力隊ネットワーク設立の動きが加速する中、京都府は、府内で活動する現役隊員のほか、府内に在住のOB・OG等を加入の対象としたメーリングリストを開設・運営し、関係者間の情報共有や交流を深めることを目指しています。
「なんでこんなところに?とか言われるけれど、地域のネガティブというのは全部伸びしろしかないと思っています。移住者が地域に入ることによって、ネガティブがプラスになることを体現していきたいです。」
常に前向きな寺田さんは未来を見据え、進み続けます。
(文責:京都移住コンシェルジュ 三野)
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