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京丹後市弥栄町野間地区:人と自然の心地よい関係 vol.2

京丹後市弥栄町野間(きょうたんごしやさかちょうのま)地域

ある新婚夫妻が選んだ野間暮らし


15年前(平成12年)に岡本さんが守る会を結成して以降、野間地域には34人(平成29年3月現在)が移り住んできました。この伸び率は、京丹後市6町の中でもトップクラスです。最近も20代の新婚カップルが、長らく空き家だった古民家を改修し、新生活を営み始めました。

太田光軌(おおたこうき)さん・治恵(ちえ)さん夫妻はともに27歳。京都市内の大学在学中に知り合い、交際を経て、平成28年4月、野間への移住と合わせて入籍しました。光軌さんは静岡県出身、治恵さんは滋賀県出身で、丹後地方に縁はありませんでした。そんな二人が一体なぜ?

「そもそものきっかけは3.11でした」と光軌さん。当時大学生だった彼は、格闘家になることを夢見て練習に打ち込んでいたそう。しかし、東日本大震災後、食料やエネルギーの安全性が取り沙汰される中、「このままでは未来にツケを残し続けるだけなのでは?」と自身の生き方に疑問を持ち始め、やがて食やエネルギーの自給自足について考えるようになったといいます。

「食料の自給自足という観点から“農業”が浮かびました。でもその前に、畑と食卓をもっと近付けられるようなことを学んでおきたくて、大学卒業後、京都市内のフレンチレストランに入ったんです。そしたら、僕が未熟だったせいもあるのでしょうが、毎日罵声を浴びせられるような労働環境で……。どんなにおいしい料理でも、裏で人が苦しみながら出されたものは食べたくないなって、働き方についても随分考えさせられました」

そんなつらい時期、支えになったのが、治恵さんに教わったパン作りでした。
「僕にとってはすごくいい気分転換になりました。生地が膨らんでいくのを見るのが単純に楽しくて。あぁ、こんな風に楽しいと思えることをやりたいなとつくづく思いました」


「空気が違った」野間の特別感


その後、光軌さんは農業の道を志し、コーディネーターの力も借りながら研修先の農家探しに奔走しました。その過程で偶然知ったのが、野間地域に隣接する弥栄町黒部地域で有機農業を営む梅本修さんです。直感的に「ここだ!」と感じた光軌さんは、梅本さんに頼み込み、晴れて修業生活へ歩み出すことができました。

野間地域との接点は、およそ2年間におよんだ修業期間。肥料にするための落ち葉を集めに野間を訪れる度、「なんだか落ち着くなぁ」と感じていたそうです。

「隣の地域なのに、空気が違うんですよね。落ち葉を拾い集める作業自体が好きだったのもあって、修業を終えて京丹後を一旦離れた後も、よく思い出していました」

一方の治恵さんは、大学卒業後、滋賀県高島市で就職。光軌さんに会うため、京丹後市に何度か足を運んでいたものの、「野間のことは全然知らなかった」のだとか。初めて存在を知ったのは、農業研修を終えた後、「自分で育てた小麦を使ってパン屋を始めたい」と決意した光軌さんとともにパン作りを本格的に学ぶため、フランスへ渡っている間でした。

「結婚することは既に決めていて、住むなら京丹後がいい、野間がいいって彼がずっと言ってて。じゃあ日本に帰ったら行ってみようかって、割とすんなり受け入れられましたね」

そして帰国後間もない一昨年末、初めて二人揃って野間へ。行く先々で「ここらは雪がすごいぞ」と覚悟を問われ、即決は見送ったものの、「気持ちはほぼ固まっていた」といいます。決め手は何だったのか、光軌さんに尋ねました。

「人との出会いが大きかったですね。空き家へ案内してくれた渓里野間の岡本さんや、家主さんとの間を取り持ってくれた移住者の先輩もいて、ここならやっていけそうだなという実感が持てたんです」

治恵さんのほうは当初、「知り合いが一人もいなかったので、うまく輪の中に入っていけるかなぁ」とやや不安を抱いていたようですが、「ご近所さんがお好み焼きパーティに誘ってくれたりして」すっかり打ち解けた様子。夫婦揃って参加した地域合同の運動会や文化祭なども「皆さんに私たちのことを知ってもらうよい機会になりました。また参加したいです」と張り切っています。

導き出した生き方・暮らし方の実践


引っ越しから約1年、「まだ住まいの改修や店舗の増築が終わっていないので、落ち着くのはもう少し先かな」としながらも、光軌さんが模索し続けてきた「未来にツケを残さない生き方とは?」の答えは定まり、徐々に具現化されつつあるようです。

「なるべく資源やエネルギーを使わずに済む方法を考えて、トイレはコンポストに、水は水道水と山水を併用することにしました。それから、パン焼き窯の余熱で温水を作るシステムを導入しようと思っています。周りの自然環境を活かしつつ、無理のない範囲で自給自足を進化させていけたらいいですね」

また、生業とするベーカリー業については、「生涯をかけて小麦栽培やパン作りを追求し続け、地元で愛されるパン屋になりたい」と光軌さん。地産地消に見合った量を生産し、環境への負荷を抑えるのと同時に、自然の一部である自分たちにも過度な負担をかけない働き方を目指しています。

「例のフレンチレストランの経験から、自分をギリギリまで追い詰める働き方は嫌だな、人を幸せにする前にまず自分が幸せでありたいと考えるようになりました。働く時は働いて、休む時はしっかり休む。できれば、フランス人のようにバカンスを楽しめるくらいになりたいですね。今の日本ではバカンスなんて現実的ではないけれど、田舎暮らしをしながらなら不可能ではないと思います。都会よりも家賃が安く、自然の恵みもすぐ近くにあるので、支出を抑えられます。それに、働く時は働いて、休む時はしっかり休むために何より心身ともに健やかに生きていけます。僕らが実現できれば『こういう働き方や暮らし方もあるんだ』と誰かに希望を与えたり、世の中を少し変えられるかもしれないと思っています」

治恵さんは、そんな光軌さんの“野望”にとことん付き合う覚悟ですが、「私は私で、楽しみを見つけましたよ」とにっこり。目下の楽しみは、「近所の野山を散策すること」だそうです。

「歩いていたら鳥の声が聞こえてきたり、珍しいお花が見つかったり、毎回新しい発見があるんです。それが私にとっては刺激的で、本当に来てよかったなぁと思います」

すると光軌さんは「刺激に慣れて、虫に強くなったよね(笑)」と妻の変化を指摘。引っ越して間もない頃、古民家に出現する大量のカメムシに怯えていた治恵さんが、今では平気で触れるくらい“成長”したそうです。本人も「一番苦手なゴキブリは出ないし、あとは大丈夫!」と胸を張ります。

経験者が語る、田舎暮らしのコツ


虫問題はさておき、「田舎暮らしはいろいろな面で人間を成長させてくれそう」と光軌さん。これからについて、「まずは自分たちの暮らしをしっかりと安定させて、それが結果的に地域のためになるという流れをつくっていきたい」と語ります。

最後に、野間をはじめ田舎移住を希望する人たちへのアドバイスをお願いしたところ、二人からこんな答えが返ってきました。

「僕らが暮らしている来見谷(くるみだに)地区(野間地域の一部)もそうですが、移住者が多く住んでいるエリアを選ぶほうが、段階的に地域になじんでいける気がします。あと、田舎暮らしは自然に依存するところが非常に大きいので、感謝とともに水や土を汚さないようにする気配りが必要だと思います。洗剤やシャンプーなどの日用品も、なるべく環境にやさしいものを選ぶのがよいと思います」(光軌さん)

「わからないことがあったら、遠慮せずに聞くのが一番ですね。おすそ分けでいただいた猪肉や、買ってきた魚の調理の仕方など、ちょっとしたことでもいいと思います。そういう日常のやりとりを通じて、地域の人たちと関係性を深めることができたのでおすすめですよ」(治恵さん)

若くして自分の生き方・暮らし方を見つめ直し、人との出会いに導かれて、野間地域にたどり着いた太田さん夫妻。お二人が醸し出すほんわかとした空気感から、「無理なく楽しく」を大切にする暮らしの心地よさがひしひしと伝わってきました。岡本さんをはじめとする地元の人たちとの親交を育みながら、いずれは野間を背負って立つ存在になることでしょう。そこに自分も加わりたい————。そんな思いが芽生えたなら、京都移住コンシェルジュまでお問い合わせを。

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