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京丹後市弥栄町野間地区:人と自然の心地よい関係 vol.1

清流の山里・野間に息づく
人と自然の心地よい関係


京丹後市弥栄町野間(きょうたんごしやさかちょうのま)地域


京都府の最北部、日本海に面した丹後半島に位置する京丹後市。峰山町、大宮町、網野町、丹後町、弥栄町、久美浜町の6町からなり、海あり山ありの豊かな自然環境のもと、平成29年1月現在、約5万7千人が暮らしています。もちろん京丹後で生まれ育った生粋の地元っ子もいれば、市外・府外からのUターンまたはIターンを経て地域の一員となった人たちもいます。迎え入れる側と迎えられる側、それぞれの思いを探りに、ある地域を訪ねました。

「水清きふるさとを守りたい」


訪れた先は、丹後半島の中央に位置する弥栄町野間地域。9割近くが山林に覆われ、耕作地は2%にも満たない典型的な山村地域です。冬の積雪量も市内他地域に比べて多く、過去に日本海側一帯を襲った「三八(さんぱち)豪雪」(昭和38年1月豪雪)でも記録的な大雪に見舞われました。そうした自然の厳しさもあって、昭和30年代の約600人をピークに同地域の人口は徐々に減少し、現在(平成29年3月)は186人となっています。

そんな中、「このままでは地域そのものが消えてしまう」との危機感を抱き、自ら行動を起こした人がいます。地元で生まれ育った岡本毅さん。現在、野間地域10集落を束ねる地域連携組織「渓里野間(かわざとのま)」の代表として、各集落の区長らとともに地域行事や共同作業の継続に携わるほか、地元での雇用創出や移住支援などにも取り組んでいます。




事の発端は15年ほど前、野間地域を流れる川の上流域での開発計画が持ち上がった時のことです。その計画の内容とは、山を切り開いて多目的ダムや国営農地を造り、そこに働き手や観光客を呼び込もうというもの。丹後ちりめんに関わる地場産業の衰退を受けて、にわかに進展した地域活性化策でした。それを耳にした岡本さんは「自然を壊すようなやり方で成功した試しなどない」として反対の立場を取る一方、「単に反対を訴えるだけではダメだ」と、別の方法で意思を示すことにしました。

岡本さんは早速「野間川を守る会」(以下、守る会)という活動母体を立ち上げ、地元住民から下流域の漁師まで、川の恵みを受ける人々に広く参加を呼びかけて、草刈りやゴミ拾いといった川の保全活動に取り掛かったそう。なぜ「川」に的を絞ったのでしょうか。岡本さんに理由を尋ねました。




「野間川はご覧の通り、山あいの小さな川ですが、天然の鮎やうなぎなどが生息する、恵み豊かな清流です。しかし、開発によって土砂や農薬が流れ込めば、おそらく生き物は激減し、下流域の生態系にも多大な影響がおよぶでしょう。そうした危険性も含めて川のことをよく知っていただいて、共有の財産として守っていきたかったんです」



やがて守る会の活動は、地元にセミナーハウスを有する大学の関係者らを通じて広く知られるようになり、京阪神など都市部からの参加者も増えていきました。そして、広がった輪の中からは、こんな声も聞かれるように……。

「こんな立派な田舎に、ダムなんて造る必要ないよね」

あえて開発反対の意思表示を避けていた岡本さんでしたが、その思いは活動を通じてちゃんと伝わっていたのです。そうした声は、おそらく開発推進の中枢にも伝わっていたのでしょう。程なくして開発計画は凍結され、岡本さんが危惧していた野間地域の自然破壊は回避されました。

自然に根ざした新たな仕事の開拓


しかし、ほっとしたのも束の間、岡本さんの前に新たな課題が横たわります。「開発が中止されたのはいいけれど、じゃあどうやって地域おこしをしていくんだと。地場産業が衰退し、現役世代は仕事を求めてよそへ出ていくばかり。高齢者だけが残って、いずれ限界集落になるのは目に見えていました。人を増やそうにも、提供できる仕事が何もない状況で『来てください』とは言いにくいですし……」
岡本さんは守る会のメンバーらと意見を交わし、一つの方向性を導き出しました。それは、従来の活動を踏まえ、「野間の自然を守ること」を軸にした仕事づくりを目指そうというもの。目を付けたのは、近年需要が伸びている「薪ストーブ」でした。

「京丹後市では設置費用の補助が受けられることもあり、薪ストーブや木質ペレットストーブを使う家庭がかなり増えています。それを受けて、燃料の木質ペレットの加工工場が新たにでき、今までほとんど需要がなかった間伐材や針葉樹の薪を買い取ってくれる制度もつくられました。原料を集めて出荷すれば多少の収入になるし、山林の荒廃を防ぐこともできる。野間にとっては一石二鳥の仕事と言えます」

岡本さんは現在、事業化に向けて森林保全会を立ち上げ、雇用の受け皿づくりを進めています。薪材の収集に加えて、いま各地で問題となっている竹林の拡大(竹害)を防ぐための整備をすることで補助金が得られる制度も活用し、「従事者に1日1万円程度を支払える仕組みにしたい」と意気込んでいます。
「毎日仕事があるとは限らないし、贅沢な暮らしができるほどの収入にはならないと思いますが、家で野菜を作るなど自給自足を考えているなら、十分に食べていけると思います。この仕事に携わるかどうかは別として、自然に寄り添った暮らしを望んでいる人に来てもらえたらうれしいですね」
また、近年岡本さんは地元の仲間3名で、里山の環境保全と地域ブランドの創出を兼ねた酒米づくりにもチャレンジしています。

「『亀の尾』と呼ばれる酒米を野間で無農薬栽培しており、地元の酒造会社が手がける『亀の尾蔵舞(くらぶ)』という純米酒の原料として毎年出荷しています。今は他の地域で収穫したものと一緒に扱われていますが、ゆくゆくは野間のきれいな水と空気に育まれたお米に特化した限定銘柄を作り、米作りも生業の一つとして提案したいですね」

生きるための知恵を次世代へ


それにしても、岡本さんはなぜこれほどまでに野間の自然を守ろうと懸命に働き続けるのでしょうか。活動の背景にある思いを尋ねました。
「私にとって、このあたりの川や森は全部遊び場だったんです。遊びといっても食料調達を兼ねた遊び。春は木の芽摘み、夏は川で魚釣り、秋は木の実やきのこ採集、冬は山鳥狩りという具合に、一年中野山を駆け回って、生きるための知恵をたくさん学んだんです。当時のままとはいかないまでも、できるだけ近い状態で次の世代に渡したい、つなげていって欲しいという思いがあります」



実際に岡本さんは守る会の活動の一環で、都会で暮らす子どもたちを川や森へ連れて行き、季節ごとの遊びや自然から得た知恵を伝える体験イベントを継続的に行ってきました。特に思い出深いものを尋ねると、「冬のかまくら作りかなぁ」との答え。参加者全員でかまくらを作り、その中で餅を焼いて食べたり、五右衛門風呂に浸かったりして楽しいひと時を過ごしたそうです。

「一番伝えたかったのは、厳しい自然も工夫次第で人間の味方になってくれるということ。人間にとっては厄介な雪も、かまくらにすれば寒さをしのぐ場として大いに役立つわけです。そういった知識を体験的に学んでいるかどうかで、自然との向き合い方もおのずと変わってくると思うんですよ」

地域をつなぐ「渓里野間」を結成して


このような活動を続けていくうちに、参加者の中から「野間に住みたい」といった声が聞かれるようになり、移住に関する問い合わせも頻繁に入るようになったそう。守る会だけでは対応が難しいと判断した岡本さんは、地域や行政に働きかけ、平成23年、新たな組織を立ち上げます。それが地域連携組織・渓里野間です。
渓里野間を構成するのは、野間地域10集落の区長や区民、各種団体など。各集落が抱えるさまざまな課題を持ち寄り、それらを集中的かつ総合的に解決し、よりよい地域にすることを目的としています。移住に関しては、移住希望者や仲介役の行政(京丹後市)、候補地の集落をつなぐパイプ役として、希望者を現地へ案内したり、地元住民との顔合わせの機会を設けたりと手厚くサポート。移住後も区長を通じて催しへの参加を呼びかけるなど、地域に溶け込みやすい環境づくりを目指しています。

渓里野間の代表として移住者支援に率先して取り組む岡本さんですが、移住希望者に対して強く望んでいることもあります。一つは「焦らず、慎重に決めて欲しい」との思いです。



「できれば何度か通って、野間の自然や人と触れ合った上で、やっぱりここがいいと思える人に来てほしい。例えば冬の大雪に懲りて簡単に引っ越されたら、こちらとしても裏切られたような気持ちになりますから、お互いに来てよかった、迎えてよかったと思える移住を進めていきたいです」

そしてもう一つは移住後の心構え。自分たちの暮らしもさることながら、「地域のことも大切にしてほしい」と願っています。

「脈々と受け継がれて来た野間の自然や文化を守り継いでいくためには、移住した方々も含め、地域の皆さんの協力が必要不可欠です。田畑の用水路一つとっても、集落単位での管理が難しくなっているので、『地域のためなら』とみんなで汗を流しています。その思いを共有し、一緒に取り組んでもらえると非常にありがたいです」

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