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京丹後市大宮南地区:「来なるの待っとるでー!」“最先端の田舎”の魅力を探る vol.1

京都府北部、日本海に面した丹後半島にある京丹後市、その最南端にある「大宮南(おおみやみなみ)地区」。京丹後市大宮町の上常吉(かみつねよし)・下常吉(しもつねよし)・奥大野(おくおおの)・谷内(たにうち)・三坂(みさか)の5つの地域で構成されている、里山に抱かれ穏やかな空気がながれるエリアです。

「最先端の田舎」を目指した取り組みをしている大宮南、みなさんはどんな地域を思い浮かべますか。
丹後の自然環境を活かした有機農業を志す人、スキルを活かして地域づくりに取り組む人、豊かな食資源を伝えるため起業する人など、いろんなカタチで移住する人たちが集まってくる、大宮南の魅力を探ってきました。

目次
  「大宮南地域里力再生協議会 会長・奥大野区長」 川口勝彦さん
■ 最先端の田舎を目指す、大宮南の地域づくりとは?「コミュニケーションの場」を大切に、地域の人と移住者をつなぐ
  「自然耕房あおき」 青木美恵さん
■ 移住して20年。縁もゆかりもなかった場所から、大きな家族の一員に「もう畑はやめて大阪に帰るしかない..」そのとき気づいた地域の存在個性豊かな女性メンバーと地域とともに。未来へつなぐ、有機農業

最先端の田舎を目指す、大宮南の地域づくりとは?


「大宮南地域里力再生協議会 会長・奥大野区長」川口勝彦さん


京都市から車で約2時間、大宮ICを降りてすぐのところに広がる、京丹後市の玄関口、大宮南地区。2016年に移住促進特別区域(※1)に指定された、移住希望者に開かれた地域でもあり、「あ・ら・た・ま・る」(※2)という言葉を掲げ、地域外の人も家族のようにあたたかく迎え入れてくれる土壌があります。

(※1 京都府が指定した移住の促進に積極的に取り組む地域) 
(※2 あ「あたたかく、誇りを持って受け入れましょう」・ら 「らくな気持ちで接しましょう」 ・た「たのしい時間をご一緒に」・ま 「まるでふるさとにかえったように」・る 「るいえん(類縁)を結んでまいります」の頭文字)

そんな大宮南の中でも、近年移住者が増え、新しい事業や取り組みが生まれている奥大野地域。その立役者になっているのが、大宮南地域里力再生協議会の会長でもあり、奥大野区長の川口勝彦(かわぐち かつひこ)さんです。

約12年間区長を務める川口さんですが、その前から役所の職員として、地域の振興に携わってきました。

「26〜27年前の1995年、大宮南も行政主導のハコモノ行政から脱却しなきゃいけない段階で、住民主導のまちづくりに変えていく組織『村づくり委員会』を立ち上げました。それがある地域は今もすごく元気がいいんです。逆に、住民主導の仕組み作りが出来なかった地域は、老人会とか婦人会とかいろんな団体が段々なくなってきて、地域力がすごく弱くなってきているみたいで。私たちは逆に、組織や団体が増えてきているんですよ。小さな地域なので、同じメンバーがいろんな役を兼ねてたりするんですけどね。」(川口さん)

村づくり委員会でワークショップをしたり、経営セミナーを行ったり、地域の中で話し合って出てきた課題を1つずつ解決するために動いてきたことが、少しずつ少しずつ蓄積されて、今につながっています。

▲農事組合法人「楽農くらがき」も、ワークショップの中で出てきた「将来の農業への課題」を解決するために立ち上げた法人。奥大野の農業を守り、次世代へつなげるために、耕作放棄地をなくす取り組みを進めているという。


数ある地域課題の1つとして挙がったのが「移住・定住の促進」。重点的に取り組むプログラムとして、力を入れてきました。

「『交流人口』をまずは増やさなあかんと思ったんです。5年間で1万人を目標にやろうと。そしたら今までほとんどいなかった交流人口が、目標の1万人を超えたんですよ。
今も月に1回行っている手作り市や田舎暮らし体験ツアーなど、地元主導で、都市の人にいかに来てもらうかを考えて、いろいろ行ってきました。市に出すために、加工グループができたり、新しい活動も生まれたり、いい循環ができています。」

▲奥大野公民館の横にある手作りのピザ窯。田舎暮らし体験ツアーなど、地域の行事のときには大活躍です。

「コミュニケーションの場」を大切に、地域の人と移住者をつなぐ


交流人口として訪れる方や移住者と地域の間に立って、そのつなぎ役としての役割も担う川口さん。移住者と地域をつなげていくときに、特に大切にしているのが「コミュニケーションの場をつくる」ことだといいます。

「地域のいろんな人と交流してもらう、関わってもらうっていうのが1番手っ取り早いかなって。それが1番地域のことをよく分かってもらえるので。
大宮南のツアーでも、かしこまったことはせず、農業体験に行って、あとは地域の方と一緒に地元の食材を使った美味しいごはんと、美味しいお酒を一緒に飲むくらい(笑)。肩肘はらず、普段通りに接するのが1番。それで、ここを好きになってファンになっていただいたら、またリピーターとして、いつでもいいので来ていただいたらいいんちゃうかな。やっぱり何度も来ることによって、はじめて”移住”という意識も出るのかなと思うので。」

地域の行事やイベントなども、地域外の方でも気軽に参加してもらえるものが多く、「いつでも遊びに来てください!」と笑顔で話してくれました。

▲前述の「楽農くらがき」のみなさんや移住者の方との交流会は、希望があればいつでもウェルカムなのだそう。取材に行った際もみなさん集まってくださり、とても楽しいひとときを過ごさせてもらいました。


移住・定住の取り組みや地域振興の活動を25年以上続けてきた中で、受け入れる地域住民側の意識にも変化が出てきたそうです。

「地域の外から人が入ってきてくれると、新しいつながりができたり、新しい人と出会えたり、新しい交流が生まれたりするんですね。それが楽しくて。そういうことを常日頃からしてると、地域の方もそれが当たり前になってくるんよね。そうすると、いろんな人が来ても純粋に楽しんでくれるようになってくるんです。」

いろんな活動を1つずつ行っていく中で、「待っているだけではなく、動いてみると、人が人をまた呼んできたり、人と人とのつながりがうまいことヒットするんだなというのを、今まで移住された方を見ていてすごく実感しています。」と、話してくた川口さん。

▲奥大野には「田舎暮らし・新規就農者支援センター」など、移住や就農に向けて、行政や先輩移住者と相談できるような支援策があったり、移住者が地域に入りやすいように、自治会費や年間行事などを一覧にした「奥大野区内情報シート」も用意している。


そんな川口さんに、地域のために精力的に活動をされている原動力を聞いてみると、こんな答えが返ってきました。

「恩返しですね。僕が役所の職員として、40年間勤務させてもらえたのは、地域の人のおかげだと思っているし、40年間で培ったスキルは、地域の中でもトップだという自負があります。だったらそれを使って、地域のために返さなあかんなと思っているのが原点にあって。
それをするのが苦にならないもんで。楽しいもんだで、どんどんどんどんやっていったというだけですわ。」

そう笑顔で語る川口さんからは、本当に楽しまれているのが伝わってきました。


移住して20年。縁もゆかりもなかった場所から、大きな家族の一員に


「自然耕房あおき」青木美恵さん


移住者の先駆けとして「地域に溶け込んで、地元の方よりも地元のことをよく知ってるような住民になってくれました」と川口さんが話すのが、1999年に「有機農業がしたい」と大阪から京丹後市・奥大野に移住された青木美恵(あおき みえ)さんご一家。農薬や化学肥料を使わない、環境に優しい自然循環型の有機農業を行う「自然耕房あおき」を旦那さまが始められ、今は奥さまの美恵さんが地域の女性メンバーと一緒に引き継がれています。

そんな青木さんに移住当初のことを聞いてみると

「もともと縁もゆかりもない場所だったんですが、移住してきた当初から、奥大野には地域にすっと入っていけるような環境がありました。地域のお祭りとかも『来てきて〜!』ってすごく誘ってくれて、子どもたちもお祭りが大好きだったので一緒に参加させてもらったり、主人も地域の昔ながらのお祭りに入れてもらったり。
私も地域のバレーボールチームに誘ってもらって、運動が苦手なんですけど『立ってるだけでいいから』って(笑)。他にもソフトボールチームもあったり、地域対抗の運動会もあったり、そういうところでも地域の人と仲良くなれましたね。」(青木さん)

移住してきた20年前は、ちょうど奥大野が地域づくりの活動に力を入れ始めた時期とも重なっており、まだ移住してきたばかりだった旦那さまも、村づくりのメンバーとして活動されていました。

「本当にみなさん奥大野全体が家族のように思っているんだろうな」と、ずっと暮らしていて感じると話してくれた青木さん。その家族の一員として、青木さん一家をあたたかく迎え入れてくれたのだそう。

「もう畑はやめて大阪に帰るしかない..」そのとき気づいた地域の存在


移住後は奥大野で忙しくも充実した日々を過ごされていましたが、約6年前に旦那さまが突然亡くなられた際、「自分に畑は続けられない」と、一度は奥大野から離れることを考えたといいます。

「主人が自然と向き合いながら、まじめにこつこつ長い時間をかけて、微生物がたくさんいる生命豊かな土作りをしていた畑だったので、出荷先のお客様や地域の方、いろんな方々に『あの畑を手放すのはもったいない』って言ってもらっていたんです。でも、私には野菜を作る知識も技術もなかったので、もう畑はやめて大阪に帰るしかないと考えていました。」

そんな考えを踏みとどまらせたのが、奥大野という地域の存在でした。

「最終的にここに残ろうって決意できたのは、畑を続けるために人が集まってくれたことも大きいんですけど、いざ『奥大野から離れる』という状況になったときに、ふと『ここを離れるのは嫌だな』っていうのが脳裏に浮かんだんです。今までバタバタと日々忙しく暮らしていて、ここの居心地のよさが、”当たり前”になっていたけど、『やっぱりここが好きだったんだな』って改めて気付かされて。」

また、畑を続けようか青木さんが悩んでいるときに、後押しをしてくれたのが、地域の方からのサポートでした。

「私がどうしようか迷っているときに、農業の知識を持つ人が畑の面倒を見てくれたり、次々と今一緒に活動しているメンバーと出会えたんです。『ここに手伝いに来たらどうだ?』って地域のいろんな人がいろんな方に声をかけて誘ってくださっていたみたいで。
保育士、フラワーコーディネーター、助産師、社会科学者など、いろいろな専門分野を持つ女性たちが主人の想いに賛同して集まってくださって、『株式会社にしてみんなでやろう!』と、2016年に新たな形で再スタートを切ることになりました。」

そのあとも、地元地域からのサポートには何度も助けられたといいます。

「3年くらい経って、それまでとにかく目の前のことを無我夢中にやっていたのですが、一度体制を整えようとなったときも、地域の方が入ってくださって、経営や仕組み作りのアドバイスをしてくださったんです。
すごくありがたくて、本当に地域の人をはじめ、いろんな方々が支えてくださったからこそ、今があります。」

▲青木さんのもとに集まった「自然耕房あおき」のみなさん。たまたま女性だけが集まり、初期メンバー6人のうち5人は移住者だったのだそう。

個性豊かな女性メンバーと地域とともに。未来へつなぐ、有機農業


「集まったメンバーはみんな、今までそれぞれに違う分野で活躍してきた方達ばかりなんですが、みんなが自然とお互いの凹凸を補い合うような、それぞれが得意分野を発揮できるような、すごくいいバランスなんです。意図して選んだメンバーではないのに、すごいですよね。」

みなさんそれぞれ個性豊かなので、「きっと、学生時代に出会っていたら仲良くなっていなかったメンバーなんだろうなって思うんですけど」と、笑いながら話してくれた青木さん。でも、だからこそ、いろんな意見がいろんな角度から出てきて、前に進んでいくのだそう。

「新しいタイプのお友達ができて、こんな世界もあるんだなって毎日すごく楽しく過ごせています。」奥大野に残ろうと決意できていなかったら、今の世界は広がっていなかったと、楽しそうに語ってくれた青木さん。

▲成長しすぎた玉ねぎも、生えてきた葉っぱがすごく美味しいことを、たまたま旦那さまが畑に取り残したものを食べたときに発見したのだそう。レストランにも出してみたら、「すごく美味しい」と評判になり、今では定期的に出荷しているのだとか。


「畑にいると、ほんと毎日いろんな発見があるんです。自然のものってがんばる力を持ってるから、がんばって育った野菜を食べることで、人間も力やエネルギーをもらえるのかなって。主人が生きているときには気づかなかったんですけど、最近、農業が面白くなってきました。」

と、色鮮やかな畑の野菜に囲まれながら、笑顔で話してくれました。

青木さんの旦那さまが、ていねいに作られた土壌をもとに、女性目線の視点を加えた商品づくりなど、新たな取り組みも行う青木さんたち。旦那さまの想い、地域の方の想い、そして今のメンバーの想いが集まって、未来へとつながっていきます。

▲150種類以上の野菜が育つ「自然耕房あおき」の畑。京丹後の厳しい気候に打ち勝つように、たくましく育つので、その分、味が濃く香りが強い、美味しい野菜になるのだそう。



vol.2でも、大宮南に最近移住された方や、新しくカフェをオープンされた移住者のもとを訪ね、さらなる地域の魅力に迫っていきます。

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大宮南に興味を持った方は
▼ 京丹後・大宮南移住促進サイト「大宮南で待っとるでー!

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(文責:京都移住コンシェルジュ 磯貝)

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